2011年12月31日
2012年もよろしくお願いします

2011年。悪夢のような大震災を皮切りに、いろいろなアクシデントや災難に苦しむ年になってしまった。本当に辛い年だった。そんな中で、ようやく2011年が暦的に終わりを告げ、明日からは、2012年という新しい年がやってくる。今年は、本当にいろいろと皆様からいただいた仕事に支えられて、というのも変な言い方だが、仕事があったからこそ、このように年末を迎えられたんだ、と思う。
試練はまだまだ続くかもしれない。また、今年は十分にやりきれたのかどうか、自己評価としてはかなり辛い。自分の限界を見せつけられた1年だった。だが、新しい仕事、新しいチャレンジもあったし、この春に向けての本の仕事もいくつか動き出した。 僕が必要とされている限り、このまま2012年も全力でがんばっていこうと思っている。どうぞ、2012年もよろしくお願いいたします。
投稿者 ikeda : 18:02 | コメント (0) | トラックバック
2011年12月26日
たまにはジャズの話でも書いてみよう
すっかり自分の仕事の告知だらけになってしまったこのブログだが、自分で読んでても面白くないので、暇を見つけて、これからは色々なことを書いていこうと思う。とは言え、元気と持続力がないとブログなんて書けないので、また、3日坊主で終わってしまうかも…なぁ。
今日は、Bill Evansについて書いてみようと思う。Bill Evansが死んだ日の翌日だったか、1980年9月の事は良く覚えている。その頃僕はプー太郎で、毎日、京都のジャズ喫茶でほとんどの時間を過ごしていた。確か、その日は東山丸太町のYAMATOYAで、だらだらと無駄に時間をつぶしていると、マスターが新聞を持ってきて「ビルエバンスが死んだぞ」と言った。その頃はなんで51歳の若さで死んだのかわからなくて、へぇ、なんでやろ?なんて話をしていた。
Bill Evansを聴き始めたのは70年代の終わりぐらいかもしれない。たくさんのLP版を持っているけれど、全部実家に置いてある…。定番と言えば59年リリースの「Portrait in Jazz」とか1961年の「Waltz for Debby」とかだけど、そのあたりで一番好きなのは「Sunday at the Village Vanguard」だった。Bill Evansのピアノトリオと言えば、なんとなく理知的なリリカルさが売りだったけど、僕は、Billのピアノが醸し出すなんというか、不思議な危うさが気に入っていた。

だけど、よくある話だけど、50年代から60年代に活躍していたほとんどのJazzメンは、ヘロイン中毒だったし、それはBillも例外ではなかったということを後から知り、やっぱり、薬と金欠でヤバヤバな生活をしてて、そのあたりの危うさが出てたのかな、という気もする。70年代に入ると、アートペッパーみたいに療養所に入って更正できる人もいたけど、Billは最後までヘロインを止めなかったようで、肝臓をやられて死んだそうだ。残念だった。
Billは薬漬けでいつも貧乏だったけど、不幸なのはそれだけじゃなかった。「Sunday at the Village Vanguard」の収録後、Billの片腕となったベーシスト、スコット・ラファロが交通事故で25歳の若さで死んでしまう。そして、文献によれば、内縁の妻がいるにもかかわらず浮気をして、その内縁の妻が地下鉄に飛び込んで自殺してしまったり、実の兄が拳銃で自殺してしまうとか。こんな悲惨な目ばかりに逢っている人間が、どうしてあんなすばらしい演奏ができるのかと思う。あのピアノは、そんな悲しみを背負った人生から湧き出てくるものなのだろうか。というわけで、今夜は久々に、Bill Evansを聞いてみようか。
そういえば、「Waltz for Debby」もニューヨークの地下1Fにあるジャズクラブ「The Village Banguard」で録音されたものだけど、オーディオマニアの間では、「地下鉄通過の音」が聞こえるかどうかでオーディオ機器を評価する、て話が有名だ。僕はそんな凄い耳をもっていないからわからないけど、「Sunday at the Village Vanguard」でも、クラブのそばを通過するかすかな地下鉄の振動音は聞こえるそうだ。そんな話を聞くと、いいヘッドフォンでも買いたくなってしまうのだが、万年金欠の僕は、当面HD-25で我慢だな。と、だらだら書いているうちに、本当にだらけた長文になっちまったのでまた今度…orz。
投稿者 ikeda : 01:41 | コメント (0) | トラックバック
2011年10月06日
さよなら、スティーブ・ジョブズ

ついに、その日がきた。
僕のような、Mac雑誌などに寄稿してご飯を食べているような一介のフリーランサーでさえ、心にぽっかり穴が空いてしまったような空虚感を感じているのだから、スティーブ・ジョブズと、もっともっとゆかりの深い人達の心は今、想像を絶する深い悲しみに満ちているのだろう。
今、いろいろな人達がスティーブ・ジョブズとの思い出に浸っていることだろう。もちろん、僕もその中の1人だ。初めてソニーマガジンズの雑誌にボンダイブルーのiMacの記事を書いた時のこと。ストロベリー色のiMacが家に届いた時の事。毎月格闘していた「月刊MacPower」の記事執筆。そして、毎年楽しみにしていたMacWorld Expoの事。好きが高じていつのまにか、私はMac雑誌に数々の記事を書き、新しいMacを買い、新しいiPodやiPhoneを手にしてはスティーブ・ジョブズがまぎれもない天才であることを肌身で感じていた。
僕がスティーブ・ジョブズのことを記事に書いたことは少ない。最近書いたのは、今は無き月刊アスキーの後継雑誌「月刊ビジネスアスキー」の2009年11月号の特集だった。「アップルの謎ー業界1人勝ち、その理由」の中で書いた「成功を目指すための『切り捨て』 次のステップには犠牲も必要」「世界中を振り向かせる『プレゼン』 秘密主義とカリスマ的な基調講演で集客」「次に起きることを読み取る『先見』 目先の史上ではなく時代の動きを見る」ーといった、かつて書いた記事を読み返しながら、当時、これからアップルはどうなるんだろう、と考えていたことを想い出すのだった。
スティーブ・ジョブズの天才ぶりやその業績は、もう世界中に埋め尽くされているインターネットのWeb記事やTwitterの投稿を見れば十分だろう。誰もがきっと感じているように、彼がいなかったら今の僕はない。彼は類い希な革命家と芸術家、経営者という3つのベクトルを高い次元で融合させた、本当の天才だったに違いない。
今日、僕は銀座のアップルストアに献花に行くこともなく、追悼集会に参加することもなく、1人、家の中で、スティーブ・ジョブズのことを静かに考えている。言いたいことも書きたいこともたくさんある。同じ思いを持つ人達と語り合いたいこともたくさんある。怒濤のように駆け抜けていった90年代から今日に至るたくさんの思い出も走馬燈のように僕の頭を巡り巡っているし、この、どこにもぶつけようのない、なんとも言えない想いが、ふつふつとわき上がってくるのを感じる。
だけど今夜は、敢えて静かに。これまでの思い出に浸ろう。
さよなら、スティーブ・ジョブズ。
投稿者 ikeda : 22:56 | コメント (0) | トラックバック
2010年01月30日
iPadは本当に買いか? 色々と考えてみる

もう方々で語られているネタだが、例の発表以来、私の周りではiPadの話で持ちきりだ。でも、もうそんな話で盛り上がっている時点で絶対に「買い」組だ。実物を見れば絶対欲しくなるに決まっている。そう思いながらも、iPad発表について、私見を書いてみたい。私にとっては、半分はOK、半分は残念な発表だった。OKというのは価格のことで、Wi-Fiモデルは予想よりも遙かに安かった。これはいい。
しかし、実際タブレットというハードがあったところで、iPhoneと同じ事しかできないのでは、単に画面のでかいポータブルに過ぎない。きっとアップルはやってくれるのでは、という期待を持っていたのはMobileMeを大リニューアルし、新しい端末の発表に相応しい、壮大なAppleクラウドサービスの計画か発表されるのでは、と…残念なことに、iBookstoreの利用イメージはあったが、それ以上のものはなかった。
確かにクラウド端末として具体的なサービスを、今の時点で語るにはまだ早いというのはわかる。今、アップルはクラウドを載せるための世界最大規模の巨大なデータセンタを建設中だが、言ってみれば、あらゆるベンダー、キャリアがこぞって、クラウドの構築に邁進しようとしている時である。下手にビジョンなどを指し示しすようなマネはしないだろう。クラウドネイティブなGoogleとの微妙な関係もある。当然と言えば当然なのかもしれない。
だが、私は恐らくはiPadを買うだろう。iPadに最適化されたアプリ開発も本格化し、iPadの真価が発揮される日はすぐにやってくるはずだ。色々な批評で取り上げられているような「Adobe Flashの非対応」などは大した問題ではない。そもそもFlashはHTML 4というレガシー(?)な世界の産物であり、現在急速に進行しているHTML 5では、ビデオ再生にFlashプラグインなどは必要ない…。
大体、クラウドを背負って先出しされた端末を真っ先に買うような輩は、第一世代iPodや、第一世代iPhone、そしてKindleを買うような、コアな人たち志の高い人たちと相場が決まっている(笑 というのは半分は冗談だが)。それから数年かけて、ゆっくりと成長していく、そのような製品なのだから今、売れる売れないという議論をすること自体ナンセンスだ。やがては、端末もiPhoneのように幾たびかのアップデートを重ね、アプリ、そして、ネットワークで連携するクラウドが成長していく過程で、PCでもない、モバイルでもない、言うならば新たなホーム製品としての市場が形成されていく。これはもう間違いないはずだ。だが、MobileMeだけは、もっとペースを上げてなんとかしてもらいたいものだ。ただ、アイコンを雲の形にするだけじゃダメなのである。